書き言葉以前の時代から、人々は水辺に住んで様々の舟を作ってきました。水辺の数ほどの舟が作られ、行き来の中で混ざり合い洗練されてきました。水が形を整えます。だから世界中にこんなにも多くの種類の舟があるのに、その基本の部分はとても似通っています。そしてその多くは一人から数人乗りの木の小舟です。
琵琶湖の周りでも数多くの美しい木の舟が作られて、使われていました。いま、それはどこにもありません。産業がなくなり、作る人がいなくなってしまいました。和船を作っている船大工はもう100人にも満たないでしょう。そのほとんどが高齢者で跡継ぎはいません。数少ない残存船もただ打ち捨てられて、朽ちるにまかされている現状です。
私たちは19世紀から20世紀始めの頃の北米の木の舟に魅せられて、幾艇かを製作してきました。小型の木造船やヨットの製作が頂点に達した時代です。まず、設計図から実物大の図面をおこして、木型を作ります。オークのステムを蒸して曲げ、キールの溝を切り込み、銅のクレンチネイルを使って外板を張っていきます。オリジナルと全く同じラインを持った舟が、かって職人たちが行っていたのと同じ手順で、時を経て、地球の反対側で再現されてきます。
なぜ、時間的にも空間的にもこんなに離れた地でそのような事が出来るのか。それは北米の多くのミュージアムがきちんと情報を保存して、整理して、出版する作業を行って来たからです。そして自ら工房を作って、実際にレプリカを製作し、修理して、技術者を育てあげ、書き言葉だけでない情報までもを伝え残そうと努力して来たからです。そして製作の細部までわかりやすく、正確に整理して文章化した書き手や研究者たちがいたからです。
近年に至るまで小さな木の舟の運命は悲惨なものでした。彼等のこの仕事がなければ多くの舟や図面は存在も知られないままに失われ、記憶に留まる事もなかったでしょう。
同じ事を私たちは出来るはずです。舟の製作は文化の基本的な部分に関わる様々の技術やその背景を含んでいます。その技術体系を滅びるにまかせていいはずはありません。地域で使われていた美しい舟や、その作り方をきちんと記録し保存していく作業は緊急を要するのです。
私たちは体験を重視しています。技術というものは全体的なもので、コトバでの記録はほんの少しを切り取ったに過ぎません。いくらリベット止めの感触を文字で描いても、実際に銅のネイルをハンマーで叩いてみない事には、その作業をわかった事にはなりません。
手を動かす事には喜びがあります。過去の名艇を写真で見るより、自分でセイリングして、身体で感じて始めてそのすばらしさが味わえます。実際の体験の中で、木の舟の文化を楽しみ、保存して将来へと伝えていくことの出来る場所をセンターでは目指しています。
高島には奥琵琶湖の美しい湖岸の風景のみならず、ブナ、ナラ、杉等のすばらしい森林が広がっています。これらはかっては船材として名を馳せていました。これらの素材をいま一度活かして、新しい琵琶湖の木舟を作り上げてみたいと思います。葦浜に木の小舟の行き交う琵琶湖を蘇らせたいと思っているのです。